関千里『ベトナムの皇帝陶磁』

出版情報

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副題陳朝の五彩と青花
著者関千里
出版社めこん
出版年2008
ISBN978-4-8396-0215-4
価格¥5775(2008年)

内容

1999年、著者の古美術商がタイで引き合わせられた由来の不明な陶磁群について、これらを買い付けた経緯、陳朝の陶磁と見なすに至った理由をまとめている。

また、今回の陶磁群と比較できるよう、関連する時代・地域の陶磁についても写真を豊富に収録している。

目次

  1. はじめに ―― 比類なき壮麗なる陶磁の出現
  2. 第1章 安南の由来
  3. 第2章 東南アジアの古美術
  4. 第3章 咲き誇る紅色の大輪
  5. 第4章 無謀とも思える挑戦
  6. 第5章 海底から引き揚げられた交易陶磁器
  7. 第6章 花街城の太上皇
  8. 第7章 孔雀と牡丹
  9. 第8章 先駆けの様相が見られるベトナム五彩
  10. 第9章 宋赤絵と元五彩
  11. 第10章 未知なるベトナム五彩
  12. 第11章 陳朝の青花と南海交易
  13. 第12章 中国の双龍とベトナムの鳳凰
  14. 第13章 ベトナムの陶磁と歴史
    1. 1 古代雄王伝説
    2. 2 中国支配下のベトナム
    3. 3 ベトナム様式の開花
    4. 4 元に負けない大越帝国
    5. 5 華麗なる王侯貴族の美意識
    6. 6 元の五彩と釉裏紅と青花、そして明の釉裏紅
    7. 7 青磁の幻想
    8. 8 かくされた歴史
    9. 9 トプカプの天球瓶
    10. 10 チャンパ王国の光と影
    11. 11 海から来た武人のクーデター
    12. 12 復古する王朝様式と交易陶磁の終焉
    13. 13 南蛮請来の安南焼
    14. 14 ベトナムの皇帝陶磁
  15. 第14章 ベトナム五彩貼花花卉文壺
  16. おわりに
  17. 新資料の科学分析による年代測定
  18. ベトナムと周辺国の年表
  19. 施釉陶器発展期の概要と北部ベトナムの王朝交代年表
  20. 作品の所蔵一覧
  21. 図版出典一覧
  22. 参考・参照文献

コメント

歴史叙述の部分は若干の古さが感じられます。しかし、古美術商として陶磁に接して続けてきた作者の経験には一目置くべき。作成年代については異論は出ることもあるかもしれませんが、確かに逸品ばかり。

何処で出土して、何故タイに流れたかは謎。

更新履歴

2009/12/01 新規

新規作成しました。

陳朝(1225‐1400)

ヴェトナム最初の長期政権。

李朝末期の動乱から台頭した水上運輸勢力(兼漁業や海盗)陳氏(Trần、チャンし)が李朝より政権を奪取して成立した王朝。前半期は対モンゴル(大元)戦、後半期は南方のチャンパと戦争を行った。特に対元戦はその後、民族のアイデンティティ成立に大きな影響を及ぼしている。

首都は昇竜(Thăng Long、タンロン)であるが、陳氏の故郷である即墨郷にも行宮が築造されて天長府(Thiên Trường Phủ、ティエンチュオンフー)と改名、第二の首都としての機能を持っていた。陳氏皇族は昇竜・天長府・各々の領地を往来している。

また、紅河デルタの工学的開発が開始され、当時アジア最大規模といわれる巨大な輪中がつくられた。沿岸部の開拓も始まる。

その最初期から権力集中のために上皇制、族内婚など独特の制度を持っていたが、後半は科挙官僚の台頭と皇族内の内紛が続き、中央集権化を指向する科挙官僚と結びついた外戚胡氏(Hồ、ホし)によって簒奪された。

1225
陳氏の実力者陳守度(Trần Thủ Độ、チャン・トゥ・ド)が一族の少年・陳蒲(Trần Bồ、チャン・ボ)を李昭皇(Lý Chiêu Hoàng、リィ・チェウ・ホァン)と結婚、禅譲させる。陳蒲は陳煚(Trần Cảnh、チャン・カィン)と改名して即位する。これが陳太宗(Trần Thái Tông、チャン・タイ・トン)である。
1248
大堤防・鼎耳堤の築造。各村落を一単位とした紅河デルタの開拓が開始される。陳朝皇族を中心に私奴婢を使った田庄経営が行われた。
1257
対南宋攻撃の一環(進路確保)として雲南方面よりモンゴルのウリャンカダイが侵入し、十数日で撤退する(第一次対元戦)。
モンゴル(大元)と三年一貢を取り決める。後、国王入朝・貢物・人質等を要求する大元と、要求を無効化しようとする陳朝の間で延々と交渉が続く。
1272
黎文休(Lê Văn Hưu、レー・ヴァン・フー)が史書『大越史記』を編纂する。(この書は現在の『大越史略』であるとの説もあり)
1279
南宋、最終的に滅亡。この頃、宋から大越・チャンパに亡命者がやってくる。
1282
大元、南方海洋貿易の支配を企図してチャンパに出兵。チャンパの抵抗にあい、失敗。遠征軍の一部は第二次対元戦に流用される。
1284‐85
対チャンパ戦略の一部として第二次対元戦勃発。陳朝及び各地住民の抵抗・暑熱・疫病によって大元軍撤退。
1287‐88
第三次対元戦。1288年、白籐江(Bạch Đằng Giang、バックダンこう)の戦いで大元軍の補給部隊が壊滅し、撤退が決定的に。
14C‐16C
陶磁器の開発に成功し、南海貿易に参画。14C頃には第二の首都・天長府等で商品開発用の窯が作られる。後に清化(Thanh Hóa、タインホア)地方で窯業が盛んになる。
14C末
チャンパの攻勢。1377年、陳睿宗(Trần Duệ Tông、チャン・ズエ・トン)が対チャンパ戦で敗死する。チャンパ王制蓬我(チェーボンガー)が胡季犛(Hồ Quý Ly、ホ・クィ・リィ)に火器で殺害されるまで、この攻撃が続く。
1397
陳朝の実権をにぎった胡季犛が清化(Thanh Hóa、タインホア)に遷都。西都(胡氏城)と称される。
1400
胡季犛が外孫の陳少帝(Trần Thiếu Đế、チャン・ティエウ・デー)を廃位し陳朝を簒奪する。

コメント

エピソード的にはこの時代が一番面白かったりします。大してものになりませんでしたが、一応、この時代あたりが大学時代の専攻でした。

更新履歴

2008/02/03 新規

昔のデータからコンバートしました。内容も修正。

山本達郎(編)『ベトナム中国関係史』

出版情報

No Image
副題曲氏の抬頭から清仏戦争まで
編集山本達郎
出版社山川出版社
出版年1975
ISBN-
価格¥9000(1975年)

内容

タイトルや副題“曲氏の抬頭から清仏戦争まで”が示すとおり独立期から近代までの越中関係を概観している。

4半世紀前の論文集だが、執筆者それぞれに蓄積された業績が総括されており、非常に充実した内容となっている。

コメント

これはエキサイティングな外交史の論文集で、越中関係に関する名著とされています。巻末に附された文献目録や付録の地図なども大変便利。もっとも、地図が無いとさっぱり意味不明な箇所も多いです。

この書物以後、研究が大幅に進展した分野もあったりするので、近年の論文とともに目を通すことがお薦め。

更新履歴

2008/01/05 更新

アフィリエイト対応。

2007/07/28 更新

副題欄が無かったため、追加しました。

2007/04/21 更新

リニューアルに伴い、データをコンバートしました。

黎崱

人物情報

漢字名黎崱
Quốc ngữLê Tắc
主な日本語読みレー・タック

事績

字は景高、号は東山。『安南志略』の著者として知られる。

陳朝皇族の陳鍵の幕僚であった。1285年(大元・至元22、大越・紹寶7)、大元のクビライによるヴェトナム攻略時、陳鍵と共にクビライ8子の鎮南王トゴンに投降する。その直後、陳鍵は陳朝側の攻撃によって死亡し、黎崱自身の家族も行方知れずとなったため、そのまま大元に仕えた。後に漢陽に住み、当時の名士・程鉅夫らと交流を持つ。

参考文献

  • 武尚清(点校)、『安南志略』、中外交通史籍叢刊、中華書局、1995・2000

コメント

ざっくり書いてあります。

更新履歴

2007/05/03 更新

参考文献と事績を修正しました。

2007/04/03 新規作成

読み方を示すために新規作成しました。

黎文休(1230‐1322)

人物情報

漢字名黎文休
Quốc ngữLê Văn Hưu
主な日本語読みレー・ヴァン・フー

事績

陳(Trần、チャン)朝初期の高官。号は修賢。1247年次の科挙において次席として及第。1272年(紹隆15年)に史書『大越史記』を編纂したことで知られる。

陳太宗の次子、昭明大王陳光啓の守り役でもあった。

仁淵侯に封爵され、93歳で死去。

参考文献

コメント

この時代ではかなり有名人です。

そういえば、まだこの時代には「字(あざな)」が表記されないのがちょっと不思議。

更新履歴

2007/04/03 新規作成

読み方を示すために新規作成しました。