前黎朝(980‐1010)

黎桓が創始した短期王朝。後代の黎利(Lê Lợi、レー・ライ)が創始した黎朝と区別して、前黎(Tiền Lê、ティエン・レー)と呼び習わされる。引き続き華閭(Hoa Lư、ホアルー)を都とし、丁部領の皇后が黎桓を後継として選び結婚するなど、丁朝と連続性をもつ王朝である。

980
宋の武力侵攻の危機が高まる中、丁部領の暗殺後に即位した丁璿(Đinh Toàn、ディン・トアン)が幼少であったため、その生母の楊太后が黎桓との結婚に踏みきり、黎桓(Lê Hoàn、レー・ホアン、黎大行)が大瞿越王位に就く(‐1005)。
981
黎桓、宋軍を撃退する。
982
黎桓、チャンパ侵攻。チャンパは根拠をヴィジャヤへ移動。
1000
楊太后(楊皇后)死去。「故主衛王」となっていた丁璿も翌年の反乱鎮圧中に死去。
1005
黎竜鋌(Lê Long Đĩng、レー・ロン・ディン、臥朝)、黎竜鉞(Lê Long Việt、レー・ロン・ヴィエット、中宗)を殺害し、後継者争いに勝利して即位(‐1009)。嗜虐的な行為を楽しむ暴君として名を残す。
1009
黎竜鋌死去。李公蘊(Lý Công Uẩn、リィ・コン・ウァン、李太祖)が宮廷の軍や仏教勢力の支持を受けて即位。

コメント

臥朝皇帝のおかげで黎朝はあまり良いイメージがありませんねぇ。とはいえ、黎桓の子孫は後世まで生き残って活躍していたりする。

更新履歴

2007/10/15 更新

ちょっとした凡ミスと王朝名、その説明を修正。

2007/10/14 更新

旧サイトからデータをコンバートしました。内容も大幅に修正。

山本達郎(編)『ベトナム中国関係史』

出版情報

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副題曲氏の抬頭から清仏戦争まで
編集山本達郎
出版社山川出版社
出版年1975
ISBN-
価格¥9000(1975年)

内容

タイトルや副題“曲氏の抬頭から清仏戦争まで”が示すとおり独立期から近代までの越中関係を概観している。

4半世紀前の論文集だが、執筆者それぞれに蓄積された業績が総括されており、非常に充実した内容となっている。

コメント

これはエキサイティングな外交史の論文集で、越中関係に関する名著とされています。巻末に附された文献目録や付録の地図なども大変便利。もっとも、地図が無いとさっぱり意味不明な箇所も多いです。

この書物以後、研究が大幅に進展した分野もあったりするので、近年の論文とともに目を通すことがお薦め。

更新履歴

2008/01/05 更新

アフィリエイト対応。

2007/07/28 更新

副題欄が無かったため、追加しました。

2007/04/21 更新

リニューアルに伴い、データをコンバートしました。