『大越史略』

表記

漢字名大越史略
音読みだいえつしりゃく
Quốc ngữĐại Việt sử lược

強引にカタカナ表記すると「ダイヴィエットスゥルォック」となる。

内容

編年体の史書。時代は趙佗(Triệu Đà、チェウ・ダー)から李(Lý、リー)朝末まで。選者不明。

ヴェトナム本国では散逸しているが、中国の『四庫全書』に『越史略』として収録されている。

『四庫全書』での本書名が『大越史略』ではなく、“大”の取れた『越史略』となっているのは、『四庫全書総目提要』に述べられている「國號大越、此書原題大越史略、蓋舉國號偽名」という理由からである。また同じく『四庫全書総目提要』では「以妄自誇大、實悖謬不足採」として『越史略』を偽史としつつも、「録之以著其罪、且以補宋元二史外國傳之所未備焉」と収録の経緯が説明されている。

以上の経緯により、現在では清朝の正統観に基づいた書名の『越史略』ではなく、本来の書名である『大越史略』の呼び方が定着している。

成立

『四庫全書』に収められた経緯ははっきりしないが、明によるヴェトナム占領の頃、各種文献が収集されて明に送られたという記録があり、これらに混じって『大越史略』は中国へ渡ったと推測されている[山本:S25]。

“李(Lý)”字を避字とし“阮(Nguyễn)”に置き換えていることから、成立は陳朝とされる。しかし、詳細な成立年代は諸説あって断定できていない。また、位置づけについても以下の説があるがいずれも決定的ではない。

陳荊和説
陳(Trần、チャン)朝太宗期(1125‐1258)に陳周普(Trần Chu Phổ、チャン・チュー・フォー)が『越志』(現在散逸)を作り、これを黎文休が重修して『大越史記』(現在散逸)とした。『大越史記』は『大越史記全書』のプロトタイプとなり、陳周普の『越志』は『大越史略』として現在に至る。[陳荊和:1980]
山本達郎説
陳周普『越志』を黎文休が重修して『大越史記』とし、さらに胡宗が陳朝昌符年間(1377‐1388)に『大越史記』を省略して『大越史略』(別名『越史綱目』)を作った。これが、明のヴェトナム侵略によって中国へもたらされた。[山本達郎:S25]

版本

伝本としては、陳荊和による『校合本 大越史略』(創価大学アジア研究所、1987年)がある。

参考文献

  • 山本達郎、「越史略と大越史記」、『東洋学報』32-4、S25
  • 陳荊和、「『大越史略』―― その内容と編者 ――」、『東南アジア・インドの文化』、山本達郎博士古稀記念論叢編集委員会(編)、山川出版社、1980
  • 陳荊和、「大越史記全書の撰修と伝本」、『校合本 大越史記全書 上』、東京大學東洋文化研究所附屬東洋學文献センター、S59

コメント

Trần Văn Giáp説もあるのですが、いまいち読みに自信がないので割愛しました。陳荊和氏の1980年論文に概要が紹介されているので、どうしても知りたい方はこちらを読んで確認してください。

あと、ちょっと注意すべき点が一点。

この『大越史略』は『大越史記全書』と比較して、年代や内容にずれがあります。これは黎文休の『大越史記』を後代に再編集するにあたり、中国側の史書と比較して修正をしたためとされています。

更新履歴

2007/03/31 更新

リニューアルに伴い、データをコンバートしました。ついでに少々書き換えました。