呉朝(939‐966)

呉権が南漢との戦いに勝利して創建した王朝。ヴェトナムの諸王朝はこの王朝から数え始める(異説あり)。南漢から独立を勝ち取ったとはいえ、南漢滅亡後にもその年号を使用している鐘が出土するなど、南漢の影響を色濃くうけたと考えられる。

939
呉権(Ngô Quyền、ゴー・クェン、前呉王)が白藤(Bạch Đằng、バックダン)江で南漢に勝利し、古螺(Cổ Loa、コーロア) で王位に就く。
944
呉権死去。妻の楊氏(楊廷藝の娘)の弟、楊三哥(Dương Tam Kha、ズオン・タム・カ、平王)が王位に就く(‐950)。
950
呉権の第2子、呉昌文(Ngô Xương Văn、ゴ・スォン・ヴァン、後呉王)が、楊三哥(Dương Tam Kha、ズオン・タム・カ)より王位を奪還して即位(‐965)。
960
趙匡胤、宋を建国。

十二使君時代(963?‐968)

呉朝末期、「使君(Sứ Quân)」と称される紅河デルタの土豪同士が抗争を繰り広げる。この時期を「十二使君時代」と呼ぶ。この混乱の中から丁部領(Đinh Bộ Lĩnh、ディン・ボ・リン)父子が台頭する。

コメント

南漢は「蛮」つまり非漢族出身者による王朝でした。南漢自身も建国最初期の国号を「大越」としていたり(『新五代史』)、「南越王」を名乗ろうとする意思もあったそうで(『資治通鑑』)、「越」という自意識の点からもヴェトナム北部にとって大変関わりの深い王朝だったということが近年判明しつつあるそうです。

そういえば、初期ヴェトナムと南漢は宦官の扱いも似ているような‥‥。

更新履歴

2007/11/17 更新

「後呉王」の指定が間違っていたため修正しました。

2007/03/31 更新

リニューアルに伴い、データをコンバートしました。内容も修正。