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南越国(Nam Việt、B.C.207? - B.C.111)

この王国をヴェトナムの政権と呼ぶには問題があるが、北ヴェトナムをその版図とし、現代に至るまで後世への影響は大きい。創始者趙佗は初期のヴェトナム王権側からは正当な帝王とみられていたが、時代が下がるにつれ、中国側の支配者として断罪されることとなる。

趙佗の時代、南越国が北ヴェトナムの安陽王国を滅ぼし、統治したとされる。考古学的にも北ヴェトナム・タインホア(清化)省から南越国の官印が出土した。ただし、出土物の文化的連続性から、統治形態は緩やかなものだったとされる。

B.C.219‐4
秦の始皇帝、嶺南地方の制圧戦を指示(B.C.221開始説有り)。任囂と趙佗によって制圧された後は南海・桂林・象郡(いずれも広西方面)を置く。
B.C.210‐7
秦の始皇帝死亡後の混乱のさなか、任囂死亡のため、趙佗が南海郡尉に就く。
B.C.206
秦の滅亡。中国ではB.C.202の前漢の成立まで混乱が続く。
B.C.203?
趙佗が桂林・象郡を併合する。都を番禺(広州)とする。
B.C.203
前漢の高祖、趙佗を南越王として承認。後に前漢の呂后は鉄器などを南越へ輸出することを禁止する。
B.C.180?
趙佗、武帝を称する。この後、周辺諸国を服属させる。
B.C.137
趙佗死去。2代帝趙眜(文帝)即位。病を称して前漢への入朝を拒む。
B.C.122?
趙眜死去。前漢の人質となっていた趙嬰斉が帰国し即位。趙嬰斉は帝号を廃す。
B.C.113
3代帝(明王)趙嬰斉死去。前漢のバックアップを受けた太后と宰相・呂嘉をはじめとする独立派との間で対立が激化し、南越国内で後継者を巡って内紛が発生。翌年、前漢武帝が内紛に乗じて南越に侵攻する。
B.C.111
南越国滅亡。前漢は旧南越領に9郡を置く。そのうち、現在の北ヴェトナムにあたるのは交趾・日南・九真の3郡。
A.D.1983
広州市象崗山にて南越国2代帝趙胡(趙眜)の陵墓が発見される。

コメント

南越国は近年、考古学の研究が進んでいる分野です。とはいえ、現代の中国・ヴェトナムにとってもこれはナイーヴな問題であり、その論考には多かれ少なかれ政治的な配慮を勘案する必要があるようです。

更新履歴

2007/03/31 更新

リニューアルに伴い、データをコンバートしました。考古学的時代に南越国を組み込みました。